アラフォー独身女性が考えてること

これ、いいな。と思うことを書きます。

沈丁花が3週間早く咲いたから防災バックを見直した

実家に行ったら4月に咲くはずの沈丁花が咲いていた

有給の本日、実家に顔を出したときに咲いているはずのない沈丁花が良い香りを醸し出していました。ユーミンの春よ来いで歌われていますね、【淡き光たつにわか雨 愛し面影の沈丁花】じんちょうげと読みます花は白い小花の集合体で花が咲くと嫌味でない香りを醸し出します。

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この香りをかぎながら縁側でのんびりお茶を飲むのが私は大好きでした。できればこの香りが洗濯洗剤か柔軟剤かになってくれないかなと思うくらい好きです。すでに亡くなっている祖母とのほんとにスローに展開される昔話というか思い出話というものがセットであることが益々沈丁花の価値を高めています。祖母との思い出の香りという言葉でも良いくらいです。いえ、母も父も一緒にお茶と和菓子をめでていましたから家族の香りでしょう。

本日有給を取ったのは周りのスタッフが全員出社していることとと、仕事がフレキシブルに展開できる時期だからというとても適当な感じなのですが、何となく有給消化しとくかという気分で取りました。

ちなみに、私の仕事は月初に勝負をかけ月半ばに様子を伺い月末ちょい手前に成果を上げるためにもう一押しをするというスタンスで進めています。月次の成績が月半ばで決定できなければ月末までに作るという感じで動きますので、今月は予定数字が何となしに読めましたから月半ばでの有給消化をすることにしました。

見れてうれしい反面、普段との違いが不安材料になる

実家に行きますと、変わりのない母と父がいました。ある程度病気を持って年齢相応の老いを感じさせるその姿は、働くことから少し距離を置いて社会とのコミュニケーションを少なくした人間そのものを感じさせるものでした。

両親ともに誰にも迷惑をかけないように自己をできるだけ管理している姿に感心したのはさておき、実家でのとある異変がどうも気になってしまいました。いつもは4月鑑賞する花が3月半ばで咲いていたことです。3週間くらい早い・・・。

私は4月に入ると抹茶を持って実家に行くというルーティンがあります。それは4月に咲くはずの庭の沈丁花を見ながらのーんびり家族と話す時間を確保するためです。話の内容は両親が65を過ぎたあたりからはエンディングノートとか死んだときに飾る写真を撮りに行こうかとかそんな感じのことです。

そのルーティンを今年は崩されました。あんなにきれいに花開く沈丁花が本日見られたのです。私は今年の4月に抹茶を持って行ってもそのときには沈丁花はまず咲いていないでしょう。ほかのアイテムを愛でることになります。思わず訪れた沈丁花の香りサプライズに素直に喜べば良いのでしょうが、私にとっては年間のルーティンと違う風景が不安を覚える材料となりました。

動物の勘、植物の勘が存在するのだろうか

東日本大震災に関連したプログラムが多く発信される昨今、その中で動物がやたら暴れたとか海から何かが打ち上げられたなどの情報が目に入りました。これを見たから今回実家に行ったときに咲くはずのない花が咲いていることが不安になったのかもしれません。

私は高校生の時に化学の先生が言っていたことに、なるほどと思った経験があります。それは「今は地球が間氷期に向かっている入り口、だから地球全体の温度が上がっていくのは避けられない事実、人間がオゾン層を破壊できるスピードは、地球が間氷期に向かうスピードには及ばないだろう」というものでした。

所詮、地球の生命力に人間は逆らえない、地球に寄り添って人間がいかに暮らしを豊かにするかを考えたほうが得策だろうというそのときの感情は今でも鮮明に残っています。おそらく化学の先生もそれを伝えたかったのだろうと思います。人間のエゴと自然の融合がちょうどよくなればそれが一番幸せな形だと。今SDGsが世界中で提唱されているのが化学の先生と重なって、どうにもいえない感情があります。先生、人間のエゴを地球に融合させようとしてるみたいだよね、と。

地球の生命力によって3週間も早く咲いた沈丁花。この事実を地球が風邪ひいたんだなと考えるのならば、私が出来ることは二つでした。その日に両親とたわいのない会話を存分に楽しむことと、防災バッグの中身を確認すること。地球がくしゃみをすれば災害が起こる、その災害に寄り添って私が死なないようにする、少なくとも両親を亡くすまでは。そのために最低限の防災はしよう・・・と思うのは間違いではないはず。

私は両親を看取る、それが私を産んでくれた両親への孝行だと信じています。きれいごとでもなんでもなくそう思っています。だから自分の命を守る行動は大切。自分だけ助かればいいという考え方ではなく、誰かのために生きていたほうが良いという考え方も大切だと私は思っています。